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こんにちは。朝日塗工です。
『躾』身に美しいと書いて「しつけ」と読みます。
「しつけ」大切さ。普通に「しつけ」と呼ばれていることを、本当に心得ている人は、私を含めて少ないかもしれません。
第一は、「あいさつ」のできる人間になる。
もしこれが出来ないとしたら、そういう人は、人間として未熟かもしれません。皆さんいかがでしょう。私自身「あいさつ」は完全にはできていません。朝の挨拶はもちろん、「いただきます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」「おやすみなさい」はハッキリ言えるようにしたいです。
第二は、呼ばれたら、「ハイ」という返事ができる。
将来高校なり大学なりを卒業して、社会の一員となって就職した場合、勤務先で朝、上役にあってもあいさつひとつせず、また呼ばれても「ハイ」という返事をしなかったとしたら・・・。そこで、世の中へ出る前に、まずわが家においてそれを実行し、十分に練習しておくことが必要かもしれません。
第三は、席を立ったら、イスをかならずキチンと中へ入れておく。靴を脱いだら、かならず揃える。
「席を立ったら、イスをかならずキチンと中へ入れる」ということの守れない人が、少なくないようにみえます。これは人間としての「しまり」の問題なのかもしれません。つまり、人間としての「しまり」のある人でないと、なかなか守れないということだと思います。
「靴を脱いだら、かならず揃える」ということも、これができる人は人間として「しまり」のある人であり、同時にお金のことも、「しまり」のある人かもしれません。
どうでしょうか。当たり前と言えば、当たり前のことのように感じるかも知れませんが、私を含めてその当たり前のことができていない人が多すぎるのかもしれません。
これはまた、「諸悪莫作(悪いことはしてはいけない)、諸善奉行(良いことをしなさい)」という、三歳の子どもでも知っていることを八十歳の老人ですらできない、というのと同じことです。
もし、自分ができていなかったら、まず、自分ができるようになってから、他人を注意する必要があります。
もちろん、これは親子関係だけでなく、あらゆる関係に当てはまります。先生と生徒、経営者と従業員、上司と部下、兄と弟、先輩と後輩などという関係全てに当てはまることなのでしょうね。
私も今日から実行していきたいと思います。

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