中庸

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他人と比較して優劣を競うような生き方をすると、学歴や能力、社会的地位や所得水準などありとあらゆることを相対的に捉えるようになってしまいます。
すると、「学歴がない」とか「所得水準が低い」というようなことに不満を感じるようになり、その不満を解消するために、ある目標を立ててそれに向かって努力しようと思ってしまいます。
それ自体が悪いということはないと思いますが、そのような生き方をしていくと、「これでいい」と、満足することができなくなります。
一つの目標を達成するとさらに高い目標を設定して、それに向かって努力するということを、際限なく繰り返していくことになるのではないでしょうか。そのような生き方が人間として本当に正しいのでしょうか。
そういう生き方で心が満たされるのでしょうか。
『中庸』には、「立派な人物はどこにいても、どんな地位にいても、不平を抱かず、それぞれの地位に応じて、するだけのことをして、けっしてあくせくしない」とあります。
どんな境遇にあっても、このような生き方が人間として理想なのではないでしょうか。
立派な人物とは、他と比較することなく、決して不平を抱くことなく、その地位や境遇に応じて、できるだけのことをして、あくせくしない人です。
そして、そのような人になるには、他と比較せずに、己の内面を見つめて鍛え上げることだと思います。
問題は常に「己の中」にあるのではないでしょうか。

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