あるがまま

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『碧巌録』に、龐居士(ほうこじ)の話があります。龐居士とは、中国の禅界では、代表的存在で、諸方の善知識(宗教的に優れた人)に歴参して修行を積んだ人です。
あるとき、居士は薬山禅師の寺から帰ろうとします。何しろ名うての大居士ですから、薬山は弟子に命じて門まで送らせます。折しも季節はずれの雪がちらちら降っています。居士、空中の雪を指さして、「好雪片々として別のところに落ちず。春の雪もまた、格別じゃ、この雪は別のところには一ひらも落ちんわい」。
これを聞いた弟子の一人が疑問を持ちます。「いずれのところにか落在す。では、一体どこに落ちるのだろう?」。
その声が終わるか終わらないうちに、居士は、「そこにも落ちているではないか、しっかり見ろ!」とその弟子にピシャリと一掌を与えます。雪のひとひらひとひらをとくと見て取れ、ひとひらひとひらが落ちるべき処に落ちているではないか。特別変わったところに落ちているのではない、落ち着くべきところに、ちゃんと落ち着いている。
私たちは、受けなければならないものは、どうしても受け入れなければならないのです。
人間の勝手で「お腹が痛い」の、「都合が悪い」のと言って逃げても、受けなければならないものは受けなければならないのです。人生にはうれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、哀しいこと、いろいろなことがあります。これらの一つ一つは別処に落ちるのではなく、当然落ちるべきところに落ちているのです。
「世の中で起こることは、すべてが必要、必然、ベストである」。経営コンサルタントの船井幸雄さんの言葉です。
「今日は最良の一日、今は無二の好機」。倫理運動の創始者である丸山敏雄先生の言葉です。
わたし達に降りかかる出来事は、すべて「起こるべくして起こっている」のです。受けなければならないものは受けなければならないのです。
わたし達の人生は、自分の思い通りにはならないものなのです。何が起ころうが、不平不満を言わずに、「あるがまま」「そのまま」でいいと覚悟して、今自分が置かれている現実をしっかりと肯定することが大切なのかもしれません。

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