茶道

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千利休が
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて、飲むばかりなるもとを知るべし」
と茶道の根本を指摘しています。
利休の「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて、飲むばかりなるもとを知るべし」の「もとを知るべし」とは、
茶の湯を沸かすもと、点てるもと、飲むもとを知りなさい、ということだそうです。
 
「茶の湯を沸かすもと」とは「不生不滅」の力であり、これは、「茶の湯を点てるもと」も「茶の湯を飲むもと」も同じなのだそうです。
 
「不生不滅」とは、昔もいまも、あるがまま、もとのまま、そのままの力のことだそうです。
 
だれが味わっても、その味は同じであり、渋く、苦く感ずるのは全員同じで、お茶を十年修行しようが初めての人であろうが、その味はまったく同じであるというのです。
それが「もとを知るべし」ということです。
 
自分は自分だけの力で生きているのではなく、ありとあらゆるものに支えられて存在している。 茶を味わって、すなわち自分の体験を通じて、「もとを知る」ということ、「あ~そうか!」と、実感することなのです。
そういう実感をもって、親子、兄弟、親戚の人、近所の人、友人、同僚などとの人間関係を味わい、さらには、生物、山川草木、空気、水などの存在に感謝して生きていくことができるならば、わたし達の人生は、この上なく充実したものになると思うのです。
「利休と芭蕉」より

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