良寛

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良寛
おはようございます。兵庫県姫路市の朝日塗工です。塗装、塗替え、防水工事をしております。
良寛和尚について少し調べてみました!!
良寛は江戸後期の歌人、漢詩人。
越後(えちご)出雲崎(いずもざき)町(現新潟県出雲崎町)の名主兼神職の橘(たちばな)屋山本左門泰雄(やすお)の長子として生まれた。
18歳のとき一時家を継いだが、同年、突如、隣町尼瀬(あまぜ)町曹洞(そうとう)宗光照(こうしょう)寺の玄乗破了和尚(げんじょうはりょうわじょう)の徒弟となり出家して良寛と称した。
また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。良寛は人に法を説くこともせず、多くの階層の人と親しく交わった。
子供を好み、手毬(てまり)とおはじきをつねに持っていてともに遊んだ。
正直で無邪気な人であって、人と自然を愛して自然のなかに没入していた。
無一物でありながら、震えている乞食(こじき)に着物を脱いで与えたこともある。
自作の詩歌や『良寛禅師奇話』(解良栄重(けらよししげ)著)などに伝える。

「散る桜 残る桜も 散る桜」
太平洋戦争時に、神風特攻隊の心情になぞらえた歌として有名になった。

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