チャック・ウィルソン

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こんばんは。兵庫県姫路市の朝日塗工です。塗装・防水・塗り替え業をしております。
みなさん!チャック・ウィルソンをご存じでしょうか!?
チャックの少年時代は心臓弁膜症で病弱でいじめを受け、「痩せでドジの気弱なチャック」と呼ばれていた。やがて不良グループに入り、自動車泥棒や傷害、強盗などの罪で少年刑務所に入ること数回。
やがて筋力トレーニングに熱中し、18歳で180キログラムのベンチプレスを上げられるようになり、レスリングでマサチューセッツ州の選手権まで行ったが通り魔的な集団暴行の被害を受けたとき実戦で全く無力だったことから柔道や空手に転向。
ボストン大学合格後、徴兵を受けて空軍に入り、柔道選手として活躍し、空軍で10連勝、全米で準優勝の成績を残す。
建築作業員や酒場の用心棒を経て1970年に来日し、同志社大学に柔道留学、1971年・1973年・1975年に全日本パワーリフティングでオープン参加にてチャンピオンとなる。この時のベンチプレス200kgの日本記録を8年間保持。
1973年から「クラーク・ハッチ健康管理センター」の共同経営者として活躍。日本にエアロビクスを紹介している。
1976年、アメリカの柔道ライト・ヘビー級チャンピオンとなり、1976年・1980年オリンピック候補選手となる。
1982年 – 1989年のうち5回、ホノルルマラソンに参加し完走。相撲も研究した。
1990年6月全日本パワーリフティング110kg級優勝。 また、毎日放送(MBS)のクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー解答者として出演(同番組には「クラーク・ハッチ健康管理センター所属」という肩書きで出演していた)。
風貌や体格に似合わず、毎回安い金額で回答するため、司会者の大橋巨泉からはケント・ギルバートの「ネギルバート」と同様に「ケチャック」(ケチなチャックの略)と呼ばれるようになる。
高い金額で回答した際には巨泉から「もうケチャックとは言わせない、チャック・ウィルソンさんの回答です」と茶化されていた。 「世界まるごとHOWマッチ」で子供から大人まで知られるようになった彼が、同じMBSの「アップダウンクイズ」の小学生大会で、シルエットクイズのゲストとして出演した。
そして、「僕が出演している番組で、「おいくらですか?」を英語で何と言うでしょう」と言う問題をラッキークイズで出題。正解はもちろん「How much?」だった。

TBSの期首特番「オールスター感謝祭」では、藤原組長との相撲対決で幾たびもの死闘を演じ、番組を大いに盛り上げた。その凄まじい形相は幾度となく司会の島田紳助に「瞳孔が開いている」と形容された。
現在は、「チャックウィルソンエンタープライズ(C.W.E.)」を経営し、全国のフィットネスセンターの指導にあたるとともに、楽しい生活を過ごすための手段として健康があるとの観点から、生活習慣病予防施設の普及に努め、自らも健康カウンセリングセンターを開設する。
チャックとボビーが戦ったらどっちが強いかな~。
次回は、ケント・デリカットについて調べてみます・・・。

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