ペタ来日

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かつて、ヤクルトと巨人に在籍したペタジーニがソフトバンク入団のために来日しました。
特にヤクルト時代のバッティングは、最後の最後まで振り抜くスイングは印象的で長打力のみならず選球眼も優れており、足もそこそこ速く、三振も外国人選手の長距離打者としては少なかった。
シーズンを通して調子のムラも少なく、外国人選手が苦手とする変化球にも強く、1999年HR王争いをしていた松井が13打数-0安打と完璧に抑え込まれた阪神の遠山から9月19日の阪神最終戦(神宮)では2点ビハインドの8回裏に逆転3ランを放つなど5打数3安打1本塁打で遠山を翻弄しました。
一塁守備も上手くゴロを取ってから投げるまでが早い。また、強肩で、一塁手のシーズン最多補殺記録を所持しており、ゴールデングラブ賞を3回受賞しました。
外野守備では送球の球自体は速いものの送球のコントロールは悪く、持病である膝痛のせいか守備範囲も狭い上に捕球も危うく難がありました。
グラウンド外では愛妻家としても知られ、25歳年上の夫人との熱愛ぶりは有名な話で、練習中でもそばに夫人がいればキスをする。
夫人はペタジーニの友人の母で、少年時代に友人宅に遊びに行った時に初めて出会った。その友人はペタジーニよりも年上であり、従って「義理の息子の方が年上」というきわめて珍しい関係である。
1990年の結婚時夫人には既に孫がいたため、ペタジーニは19歳にして祖父となった。
夫人は試合のみならず、巨人時代はキャンプにも同伴。ペタジーニ夫妻専用の宿舎が用意されるほどであった。夫人はなれそめの話をした時、ペタジーニのことを「賢く、優しい紳士」と答えている。
この言葉通り、ペタジーニは試合で乱闘や暴言を吐いたりすることはなかったが、ヤクルト時代にデッドボールを受けた時、観戦に来ていた夫人が激怒し彼が止めたことがありました。

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