姫路JC、唐津JC交流事業

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先日一泊二日で、姫路JCと唐津JCの交流事業で九州に行ってきました!!
まずは姫路駅に朝9:30に集合しました!!

新幹線で博多へ向かいました!!団体割引って安いですね~

博多駅に到着!!唐津JCの方がお出迎えです!!

昼食は呼子で名物のイカを食べました!!イカが透明です!!

唐津市呼子町は決してイカの漁獲量が日本一ではありません。
しかし、その呼子町で「イカの活造り」が生まれ、「イカの町」として有名になりました。
 
「イカの活造り」の誕生には多くの要因があります。まず世界に多くのイカの種類がある中で、玄界灘が生食向きのイカの漁獲量が多いことです。
環境の変化に弱いイカを生簀で活かすことに成功し、それに伴い漁師がイカを生きたまま漁場から持ち帰ることが出来るようになったからです。
同期JCのU君がイカの食べすぎでお腹がでました!!


昼食後は豊臣秀吉が作った名護屋城跡へ。
名護屋城は九州の諸大名を中心に動員し、突貫工事で僅か8ヶ月後の文禄元年(1592年)3月に完成しました。
規模は当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであったそうです。本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、本丸北西隅に5重7階の天守が築かれました。
城跡からは金箔を施した瓦が出土しており、派手好きの秀吉らしく戦争の為に構えた城郭であっても絢爛豪華であったことが伺えたそうです。
城郭の周辺には各大名の陣屋が配置され、西国衆を中心に総勢15万8000の兵が9軍に編成され、4月1日に小西行長・宗義智率いる第一陣が朝鮮半島へ出兵したのを皮切りに、名護屋を出発した諸隊は壱岐・対馬を経て朝鮮に渡っていきました。
文禄の役では最終的に20万以上の兵が名護屋から朝鮮に渡った。当地には西国衆の渡海後も東国衆と秀吉旗本衆約10万の兵が駐屯しています。補給・連絡の中継地として名護屋は重要な役割を果たしました。
当時の名護屋城風景です!!

現在の名護屋城跡

名護屋城見学後、唐津ロイヤルホテルに向かい夕食会場へ~。
ちなみに夕食会風景です!!


姫路JCナンバーワンおもろーのHさんの漫才がはじまりました!!
腹筋が痛かったです~。

二日目は「宝当神社」へ行きました~。
神社のある高島へ船で渡りました!!

高島MAP


まねき猫です~


宝くじがよく当たるそうです!!

当たりソーダをお土産に買いました!!

宝くじを持って宝当神社にお参りします!!

宝当神社は、400年以上も前、高島を荒らす海賊を撃退した「野崎隠岐守綱吉」の墓を島の守り神として祀ろうとできたそうです。
その後「宝当」という名前から「宝くじが当たりますように」と参拝されるようになったそうです。近くには、野崎隠岐守綱吉が先祖を守る神社として建てた塩屋神社もあり、一緒にお参りするとより願が届きやすいかも…とのこと。
昼食は博多へ移動し水炊きを食べて姫路へ帰りました!!

今回の旅は、
一日目:姫路→博多→呼子でイカ→名護屋城→懇親会
二日目:宝当神社→博多で水炊き→姫路
の内容でした。楽しかったです!!
唐津バーガーととんこつラーメンを食べそこないました!!ショック!!

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