協調と妥協

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

協調と妥協は似て非なるものです。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
孔子の言葉です。
「和」は、ただ人と仲良くするということではない。ましてベッタリの関係になることでもない。 自分の主体性を保ち、相手の主体性も尊重し、相互に認め合いながら協調していくのが、真の和である。
ここでいう「同」は主体性を持たず、無原則的に妥協することである。
ケンカをした後で、非常に仲良くなるということがある。徹底的に主張をしあったのち、協調というところに到達した結果だからであろう。
中庸にも、 「和すれども流せず」 という言葉があります。
協調はするが、そのために流されてしまわないことだ。
 
しかし、現実にはなかなか難しい。主体性を保つことと協調することのけじめをどこでつけるのか、容易ならぬ選択です。
 
なお、聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条は、 「和を以て貴しとなす」です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*