メッシ

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「ディエゴ・マラドーナの再来」と期待される逸材でありその年齢にあってすでにスピード、テクニック共にワールドクラスの実力を備えるアルゼンチン代表。
愛称「エル・プルゴ(のみ)」
3才の頃父親によって与えられたサッカーボールに夢中になったメッシはやがて地元グランドーリという父親の作った少年クラブチームにて本格的にサッカーを始める。
その後アルゼンチン名門ニュエルスの下部組織に入り、瞬く間に頭角を現すと強豪リバープレートが獲得に動いたが、この時のメディカルチェックの際成長ホルモンの障害が発覚、当時身長が140cmにも満たなかったのはこれが原因だったのである。
これにより移籍話が無くなった所か障害を克服するため通院を余儀無くされるが、月10万円の医療費はけして裕福とは言えない家計を苦しめる事となる。
所属するニュエルスへ相談するも話を聞き入れてもらえず、しびれをきらした父親はメッシに興味を示しているバルセロナの入団テストを受けさせるためスペインへ渡る事を決意する。
ホルモン障害を持つ小柄なメッシはそれを補うだけの左足のテクニックでバルセロナの強化担当であったレシャクを釘付けにし契約に成功する。
入団後は各カテゴリーをエースとしてプレー、03/04シーズンにはバルセロナBチームにてデビューを果たし素晴らしい活躍を見せた。
04/05シーズン第7節エスパニョール戦において弱冠17才と3ケ月でトップリーグデビューを飾ると同シーズン5月1日アルバセテ戦にて芸術的なループシュートにより初得点を記録、これはシャビの持つクラブ最年少得点記録を更新する貴重なゴールとなった。(17才10ケ月7日)
デビューシーズン通算7試合1得点でリーグ優勝を経験、シーズン中1月にコロンビアで開催されたUー20南米選手権では17才ながらエースとして異次元のプレーを見せつけ5得点を記録しワールドユース出場権獲得に貢献する。
更にシーズン終了後に開催されたワールドユースでは通算6得点で得点王に輝きチームを2大会ぶりの優勝に導き、メッシ自身も大会最優秀選手となった。
この大会での活躍中、バルセロナとの契約延長が成されているがこの時結んだ新契約の中に違約金1億5000万ユーロ(約200億円)という破格の金額が設定されている。
バルセロナ加入後、18才にしてリーグ優勝2回、チャンピオンズリーグ1回の栄光を刻んだが、やがてはメッシ自身が中心となったチームでこれ以上のタイトルを手に入れ、名実共に「マラドーナ2世」となる事に期待したい。
フル代表デビューは2005年8月17日、ブダペストで行われたハンガリーとの親善試合。ピッチに立ったその2分後に相手選手にひじ打ちをして一発退場となる不運なデビューもスター候補と言うに相応しい所。
その後はコンスタントに出場し2006年3月クロアチア戦にて代表初ゴールも記録、アルゼンチン代表最年少の2006年W杯メンバーにも選ばれた。
迎えたW杯本大会では3試合に出場しセルビア・モンテネグロ戦では得点も記録、ベスト8で敗れたのは残念であったが、この大きな経験を武器に2010年W杯をメッシの大会にして欲しい所である。
尚、怪我によって離脱し06/07シーズンの前半戦を棒に振ったが、復帰後の2007年3月に行われたレアル・マドリードとの対戦「クラシコ」にてハットトリックを達成させている(試合結果3ー3ドロー)。

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