四十にして惑わず

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「40歳」のことを「不惑」というのはこの言葉から出ている。
孔子が70歳を過ぎてから述懐したそうだ。
しかし、孔子の実際の人生とはかなり違っているみたいだ。
当時の魯の政治は貴族の李氏が握って国政を左右していた。この李氏から孔子に協力してほしいという働きかけがあった。
孔子は無冠であったが、学者としては名声がありそれを利用しようとしたのだ。
だが、孔子はかねてから貴族の権限を削減しようという考えであったのでこの誘いを断っていた。
しかし、再三の誘いに応じようとしたこともあった。結局、拒否したが、一時は深刻に迷ったのである。
かれらの力を利用しようと考え、理想と現実とのジレンマに悩んだのだろう。
孔子は現実には40歳にして迷ったのだ。40代は人生の転換期にあたり迷いの多い年代である。だからこそ孔子は「迷うまい」という思いを込めて逆説的に「四十にして惑わず」と言ったのだろう。
「我十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」
という孔子の言葉は有名である。

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