ハート

こんにちは。朝日塗工です。心理テストを行いたいと思います。
下の絵をみ観て、どちらの色が好みですか???
①寒色系のハート

②暖色系のハート

①の沈静色を選んだ人は・・・
行動よりも、思いが膨らむタイプ。感情を表現するのが苦手です。淡々とした態度は気が無いと誤解されるかもしれません。まず、好きな人には、好意がある事を気づいてもらわなければなりません。
②の興奮色を選んだ人は・・・
感情表現が豊かで情熱的な人です。好きと思ったら、もうどうにも止まらない。恋はかけひき?たまには退いてみるのも手かもしれません。

赤・青の色

赤い色は興奮ホルモンのアドレナリンの分泌を促し、闘争心をおこさせるといいます。
ちなみに、闘牛では、赤い色のマントによって興奮していますが、実は牛は色盲らしいです。牛が向かってくるのは布の動きに挑発されてと見たほうがよさそうです。
気分がすぐれない鬱状態が続いた時は、壁やカーテンを明るい色に。思いきってソファーやインテリア小物などに赤い色を使って気分を変えてみては如何でしょう。
青は「静」の文字に存在しているように、落着く色の代表と言えるでしょう。
青は精神を安定させ心身の回復力を高めます。また、緑も気持ちを和ませてくれる作用があります。
イライラして気分が落着かない時は青いインテリアと緑の植物が効果的です。

イベントの裏方

鮎狩りの河川警備をしました。いやー暑かった!!
先日、夢前川上流で「鮎みよって知り合おう」、鮎狩りイベントを行いました。
 鮎狩り会場
暑い中、ご参加いただき誠に有難うございました。
 小さな赤ちゃん達も参加!!
 バーベキュー
 鮎狩り
 鮎の塩焼き
 スイカ割り
 水鉄砲作製
鮎の掴み取り、流し素麺、スイカ割り、水鉄砲作製、バーベキュー等の内容で大変盛り上がりました。
毎月1回行われる例会の設営・準備を担当しております。準備のため、前日からトラックで機材やテントを運びました。例会当日も朝早く集合し準備をしました。イベントの準備・設営というのは大変です。
 先輩の双子。
例会開催中は河川の警備担当にあたり、1日中、小さな子供達が溺れないか、鉄砲水が来ないか注意を払いました。昼ごはんも食べることができず、また、とても暑かったので、大変しんどかったです。
しかし、勉強になったこともありました。
コインの表には裏があるように、華やかで楽しいイベントの裏では、たくさんの人々の苦労や支援があり、準備や設営や運営があって、成り立っているんだなと実感しました。
 最後は来年の理事長の入水で無事?終了!!
暑い中、例会委員会の皆さん準備・設営お疲れ様でした。

兼愛・非攻

先日、テレビで「墨攻」という映画をみました。
本作のストーリーはフィクションだが、アンディ・ラウが演じる主人公、革離の属する「墨家」は、歴史上に実在した集団。
墨家は、中国戦国時代に墨子によって興った思想家集団であり、諸子百家の一つ。「兼愛」「非攻」を説いた。
一見、平和主義だが、攻めることは禁じつつ、守るための闘いは善しとし、攻められ助けを求める国があれば、助っ人として馳せ参じる。戦闘集団としての面も併せ持っていた。
墨家はたんなる思想集団ではない。戦国期の思想集団としても、同時期の「儒家」とは比較にならないほどに体系化された思想と論理をもっており、そのうえ実は、強力に組織された軍事集団でもあった。
また、その独特の「兼愛」思想に基づいて、武装防御集団として各地の守城戦で活躍した。墨家の思想は、都市の下層技術者集団の連帯を背景にして生まれたものだといわれる。
初期こそ怠惰な者も役得目当ての者も多かったのだが、やがてはどんな集団にもありがちの、堕落する者や脱落する者がほとんどいなくなっていた。
墨家は戦国期最大の思想的軍事集団あるいは軍事的思想集団の総称なのである。
これだけでも墨家の異例の特質が際立つが、さらに墨家の異様な相貌を代表する思想と行動が「非攻」であった。
一般に、人を殺すことは、どんな時代の、どんな政治家も思想家も容認していけない。村や町で一人の人間を殺すことは、ただちに犯罪とみなされる。それなのに戦争となると、多数の殺害が平気で容認される。
一人の殺害を国法や社会の法で裁いている一方で、他方では多数の殺害を正当化する何かが動いている。いったい戦争とは何なのか。いっさいの哲学と制度と愛を踏みにじるためにあるものなのか。
戦争を仕掛ける行為をこそ問うべきである。相手に攻撃をかけたい社会意識と国家主義こそ打倒すべきである。
これを墨家の「非攻」論という。攻撃による戦争をすべて否定しようとしたものだ。
ところが墨家は、ここからが異常だったのである。「非攻」ではあっても「墨守」なのである。戦いは決して仕掛けないが、その戦いに屈することも肯んじえない。墨家はここで立ち上がって、守り抜くための戦争を断固として挑む。
実際に、墨家がどこでどのように守備戦闘にかかわっていたかという記録は少ない。しかし、さまざまな史料や見解を総合すると、墨家は頼まれれば、どんな都邑の城郭の防御のためにも傭兵的集団として出向いていた。
しかし、すべての人を差別なく愛するという「兼愛」思想は、君主と部下のあいだに上下関係の制度をおこうとする者にとっては、邪魔なものである。中央集権国家をつくるにも障害になる。
墨家はこのような事情からも、各派に嫌われ、排斥されることになる。戦国時代に「儒家」と並び最大勢力となって隆盛したが、秦の中国統一ののち勢威が衰え消滅した。
人を隔たり泣なく愛する「兼愛」、相手を攻めない「非攻」は現代社会においても、通じるものがあったので、大変勉強になりました。

兵庫県、姫路市の朝日塗工です。

人目を引くような華やかさこそないが、きびしい自然条件から大切な施設を守るという
地道な役割を担っており、まさに“隠れた名脇役”「沖縄美ら海水族館」で使用している塗料、塗装技術を紹介します。
澄んだ沖縄の海をそのまま再現した水槽の内部。その美しさの秘密は、自然光を活かしたオープンシステムと水質へのこだわりにある。
水槽上部から自然光をふんだんに取り込むことのできるオープンシステムの採用で、主役である水槽の中の生き物をより美しく、より生き生きと見せることができ、サンゴの大規模生態飼育も可能になっている。
海水は沖合350m、水深20mから汲み上げたものが使われており、「サンゴの海」の水槽では1日24回、「黒潮の海」の大水槽では1日16回(新鮮海水4回、循環水12回)、新鮮な海水の取り込みが行われている。
水槽本体は、薄くても丈夫なFRP(繊維強化プラスチック) でできており、3層の防水構造となっている。水槽内が鮮やかなブルーに見えるのは、特殊樹脂塗料をトップコートとし塗装しているからだ。塗料仕上げならではの優れた平滑性が、きらきらと輝く沖縄の海の再現に大きく貢献している。
一方、館内の壁や天井、フロアなどは、ダークブルーやグレーといったシンプルで控えめな配色にコーディネートされている。これもなかなか好印象だ。
豊かな自然の中にある沖縄。しかし、亜熱帯特有の気候風土は過酷である。容赦なく照りつける太陽と降り注ぐ紫外線。東シナ海から運ばれて来る塩分と湿気。さらには、年に何回も来襲する台風。それゆえ「沖縄美ら海水族館」では、施設のありとあらゆる所にそのための備えが施されている。
まず、入場者を迎えるメインゲート「海人門(うみんちゅゲート)」。高い空間を象徴するダイナミックなトラス(プレキャストコンクリート製)は、防食性・耐候性の高いふっ素樹脂塗料が使用されている。
トラスの塗装は、主要部分は仕上げまで工場で行い、ジョイント部分のみ現場で塗装するという工法が採用されている。また、コンクリートの打ち放しの外壁にも、透明なふっ素樹脂塗料が使用され、高温・多湿・塩害から外壁を守る保護膜をつくり上げている。

ヤキュウ

野球観戦といってもプロ野球、高校野球、メジャーリーグ、と色々な野球があります。
イギリスの「クリケット」に起源を発し、アメリカで誕生した「ベースボール」は日本に渡り、野球になりました。
「野球」という言葉を作ったのは正岡子規だそうです。彼は自分の名前の「のぼる」にかけて「野ボール」と付けたそうです。
アメリカのベースボールではやはりパワーとパワーのぶつかり合いや華やかなスター選手に重点を置いているように思います。
しかし「野球」は、パワーよりも技術、そして何よりも精神面やチームワークに重点を置いていると思います。
アメリカの「ベースボール」に引け劣らない「野球」は、それが根源だと思います。
こうした「野球」の精神面の強化は高校野球で培われるのではないでしょうか。
その大きな要因は「甲子園」の存在です。
地元の期待を背負って出場する「甲子園」では、自分自身との戦いです。送りバントの自己犠牲の精神、猛暑の中で9回を投げ抜く投手。一球一球に集中する選手。
一球一球に向かう選手は、非常に大きなプレッシャーがかかっていると思います。これに打ち勝つには相当な精神力が必要だと思います。
  
しかし、高校野球には、そのプレッシャーを分かち合える仲間がいます。だから、野球をしている時、楽しくてしかたないように見えます。高校野球は気持ちを一球のボールに込めて、仲間達と気持ちを伝え合うスポーツかもしれません。
もうすぐ、オリンピックの野球がはじまります。日の丸を背負った代表選手は、高校球児のような熱い気持ちと、強い精神という鎧をまとい、世界と戦ってほしいです。

報徳対智弁


日曜日に時間が空いていたので、久しぶりに家で高校野球を観ました。
兵庫の報徳学園対奈良の智弁学園の試合を観ました。
高校球児はさわやかでいいですねぇ。
先制は報徳学園、しかし智弁学園が追いつくという展開でした。
9回を終わって、4対4の同点。
10回表の智弁の攻撃は2アウトランナー2塁。
左バッターが3塁線を破り、打球はレフトライン際へ。もちろん、2塁ランナーは3塁をまわりホームを狙う。
レフトの諸沢が打球を掴むと、体勢を立て直さずに、すかさずホームへ。
ダイレクト返球で、キャッチャーミットへ。
間一髪タッチアウト!!
その裏、報徳の攻撃。ノーアウト満塁。
報徳の打者氏家は打席に入る前に、天を仰ぐ。亡き父と会話したのだろうか・・・。
初球、智弁・新田の高めの速球を振り抜くと打球はレフトへ。
浅いレフトフライ。
しかし、3塁走者の糸井は果敢にホームを狙う。自慢の俊足を飛ばし、ヘッドスライディング。
セーフ!セーフ!セーフ!
延長10回、注目の近畿対決は報徳のサヨナラで決着が付いた。
殊勲の氏家は「高めが来たら外野フライを打とうと計算して打席に入った。走者の糸井が助けてくれた。うれしい気持ちでいっぱい」。今年の5月に父の哲二さんが急逝。1回戦では2点本塁打を放っている。「1回戦は父の力。その思いで今日も打った。父に勝ったと報告したい」
勝利の流れは、直前の守備で掴んだ。ピッチャー近田の球威を考え、通常より5、6歩前に、そしてライン際へ守備を取らせた永田監督の指示。そしてその期待に応えた、レフト諸沢の美技。
直後に、先頭打者で出塁した糸井。次の打席でライト前にヒットを打った4番打者。ファーボールを選んだ5番打者。そして、犠牲フライを打った氏家。
「逆転の報徳」と称される粘りの伝統は、初戦に続き2試合連続サヨナラ勝ちをおさめた。まさしくチーム一丸の勝利だった。

姫路お城祭り

おはようございます。朝日塗工です。先日姫路お城祭りにパレードに参加させて頂きました。姫路城の歴代城主の、池田輝政に指名されました。
2時間前から、武士?の服装に着替えさせられました。着物は、かなり強く締めつけるので苦しかったです。先輩は、ビールを一杯ひっかけてから着物をきたので、顔が青ざめていました。
パレードは無事終了後したのですが、武士?の格好で携帯電話をしていたら、女子高生に激写され、爆笑されました。流石に、武士と携帯には違和感があったのでしょう。
さて、姫路城は地元の世界文化遺産ですが、意外と、池田輝政について知らなかったので、少し調べてみました。
池田 輝政(いけだ てるまさ)は戦国時代末期から江戸初期にかけての武将・大名。姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られます。
1564年、池田恒興の次男として尾張国(愛知県西部)に生まれた。
織田信長に仕え、1579年の花隈城攻略の時には、その活躍ぶりから信長より感状を授けられ、本能寺の変後は、父兄と共に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に仕える。
1584年の小牧・長久手の戦いで父・恒興と兄・元助が戦死したため、家督を相続し、その後も佐々成政征伐など秀吉の主要な合戦の大半に従軍した。
1590年、三河国吉田(愛知県豊橋市)に15万2,000石を与えられた。田原城(愛知県田原市)、牛久保城(愛知県豊川市)を支城にし、近くの二連木城(愛知県豊橋市)を廃城にした。
恒興の戦死後は準・豊臣一族として遇され、羽柴侍従の称号を授かっている。また、秀次事件に際しても輝政の妹である秀次の正室・若御前は助命され輝政の元に送り返されるなど丁重に扱われた。
1594年、秀吉の仲介によって家康の娘・督姫を娶る。
秀吉没後は家康と懇意になり、1600年に五奉行の石田三成らが家康に対して挙兵すると、福島正則とともに関が原の戦いの前哨戦となった岐阜城攻略に参加し、戦後には姫路に大領を与えられた。そして名を輝政に改めた。その後は姫路城を大規模に改修している。
家康の娘婿であり、さらに播磨から備前などに100万石近い大領を領したということもあって、「播磨宰相」・「姫路宰相」・「西国将軍」とまで称された。この家康の娘との縁組は池田家の家格を大いに引き上げ、江戸期のみならず明治期に至ってなお池田家が繁栄する基盤となった。
1613年に姫路で急死する。享年50。輝政の死は世間では秀吉の呪いとも噂された。
着物はとても暑かったですが、普段パレードに参加することはないので、良い思い出になりました。

室内の塗装

施工前

完成

■落ち着いた雰囲気の和室に
■アクセントを加えて個性的に
反射率50%の落ち着いた雰囲気の和室を、アクセントに強い色を使うことで、個性的なイメージに変えてみました。あなたのお部屋も、色々なカラーを使って個性的で過ごしやすい空間に変えてみませんか?
室内の塗装・塗替え・防水は朝日塗工へ。

ワビ・サビ

ワビ・サビの境地を表した「わら屋に名馬つなぎたるがよし」という言葉があるそうです。茶道の初祖である珠光が「わび・さび」というのはどういうものかを述べた言葉だそうです。
普通、名馬がある武家の屋敷の厩(うまや)はわら屋ではなく瓦が葺いてあったそうです。しかし珠光は「わら屋に名馬つなぎたるがよし」と言っているのです。
これは何を言いたいのかというと、今は武家として立派な屋敷に住んでおり、瓦が葺いてある厩に名馬をつないでいたとしても、やがて落ちぶれて屋敷を手放し、藁屋に名馬をつなぐようになりうることもある。そうなった時に、昔はよかった、立派な屋敷に住んで瓦の葺いた厩に名馬をつないだものだ、と思いかえしてしまいます。
しかし、昔に戻りたいものだなぁ、などとクヨクヨせずに、人生は、もともと不如意なものであり、自分の思い通りにはならないものだと思い、不平不満を言わずに、「あるがまま」「そのまま」でいいと覚悟することが大切である。自分が置かれている現実をしっかりと肯定することが、ワビ・サビいうものである。ということを言っているのだそうです。
そもそも、思い通りにしよう、などと考えるのは人間だけではないでしょうか。犬にしろ、猫にしろ、雀にしろ、鳥にしろ、生きとし生けるものすべては、思い通りにしようなどとは考えません。ただ生きている、生かされているのではないでしょうか。
「色即是空」。思い通りにしようとすれば、いろいろなストレスが発生します。これが「色」です。
しかし、そのようなストレスは人間が勝手に抱えているものであり、だれがどんなストレスを抱えようと抱えまいと、そのことに関係なく、朝になれば日が昇り、夕方には日が暮れ、夜になれば月が輝くように、毎日が同じように過ぎていくのではないでしょうか。